ウォルトディズニー語録 バックナンバー
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InfoDISNEYで99年8月から掲載を始めたウォルトディズニーの語録を掲載しています。
ウォルトがどのような思いで映画やディズニーランドを創り上げてきたかが少しでも分かるかと思います。 ウォルトディズニーがどのように考え、映画、ミッキーマウス、ディズニーランドを創造していったかを少しでも伝えればと思います。
ウォルトについてもっと知りたい時は、The Walt Disney Family Museum で。
–生立ち–
1901年12月5日(日)、イリノイ州シカゴでイライアス・ディズニーの4男として誕生しました。
シカゴの高校でアニメーションに興味を持ち、戦争を経て広告会社の同僚であるアブアイワークスとアニメ映画会社設立するが倒産。このようにして、アニメの世界に入っていったのです。
『ウォルトディズニー』という名前の魅力
『ウォルトディズニー』という名前を聞いてどんな印象を受けますか?
なんとなく愛着感を感じませんか。
ディズニー作品を生み出している会社は、今も昔もウォルトディズニーです。ここのところが革命的であるんです。
もし社名がパラマウント・ユニバーサルであったらミッキーマウスや白雪姫をこれほど身近に感じるか少々疑問です。 ウォルトディズニーと銘打つことでアニメにしろ、1枚の絵葉書にしろ、計り知れない愛着感を私たちに与えてくれるのです。
柳生すみまろさんのマジカルアドベンチャーから引用させていただきました。
語録バックナンバー
■04.09.30
1929年
連中は私にしたのと同じことをきっと君にもするだろう。私を裏切るのなら君を裏切りことだってあるはずだ。
気をつけた方がいい
■04.05.04
1929年ウォルトがミッキーのデビュー作をRCAへ持っていった時
フィルムを置いていってもらえればそのうち音をつけましょうと言われ、 それではダメだ。音をつければいいわけではない。話にならない。 と他をあたった。
■03.12.25
1929年ミンツにだまされたとき、スタッフに裏切られた時
スタッフの裏切りには腹が立ったが、うらみ続けてはいられない性格なのだ。
■03.08.14
ウォルトが少年の頃、ゼリー工場にいい仕事があると聞かれたとき、ゼリー工場で働くつもりはない。私は、アーティスト
になる。と答えた。
■03.05.11
白雪姫と七人のこびとの公開時、RKS社とタイトルの話になって、
これは、もともと『白雪姫と七人のこびと』っていう題のれっきとしたおとぎ話なんですよ。そのおとぎ話にこそ僕は150万ドルも注ぎ込んだんだから。
売り込むのもそのとおりにやってもらわなくちゃ困りますよ。
■03.04.10
最初の長編アニメ白雪姫の製作をスタッフに説明したとき
彼は白雪姫の話を語り始めた。その語り口は、まるで実際のスクリーンの上にアニメーションが動いているようだった。ウォルトは身振り手振りを使ってそれぞれの登場人物になりきった。
これが、僕たちの最初の長編映画になるんだ。
■03.03.06
夢
ディズニーランドが実行不可能だと銀行を納得させるのは不可能だった。なせなら夢の担保価値はほとんどゼロだから。
■03.01.10
ディズニーランド
ディズニーランドには終わりがない。それは進歩し、加算され、増殖しつづける。ディズニーランドは生きている。常に変化が必要な、生きて呼吸している物体なのだ。
■02.12.06
ディズニーランド
ディズニーランドは、アメリカ人の世界であり、過去と現実の世界であり、私の想像力で見た世界なのだ。それはやさしさとき郷愁、そして幻想と色彩と喜びのある場所なのだ。
■02.11.12
自信
新しいプロジェクトについて考えるときは、それについて研究するんだ。見掛けのアイディアだけでなく、それに関するすべてのことをしらべあげるんだ。・そしてひとたびやると決めたらとことん信じ込むんだ。うまくやる能力があると信じるんだ。そしてこれ以上できないという最高の仕事をするために働き続けるのだ。
■02.10.16
夢
ディズニーランドが実行不可能だと銀行を納得させるのは不可能だった。なせなら夢の担保価値はほとんどゼロだから。
■02.09.16
実験
私はじっとしていることが出来ない。探索し実験していないとダメなのだ。私は自分の仕事に満足したことがない。私は自分の想像力の限界を恨んだ。
■02.08.14
実験
好きなことにだけ、のめり込みすぎないように。そうすると他の分野への冒険ができなくなってしまう。自分の好きなもの以外、見えないようにするのはおろかなことだ。ちのだけのものじゃない。私は相手に合わせてレベルを落としたりはしない。
■02.07.10
観衆
子供のためにあるいは批評家のために作られた作品は当たりはしない。私は子供のためにも批評家のためにも映画を作ったことはない。ディズニーランドは、子供たちのだけのものじゃない。私は相手に合わせてレベルを落としたりはしない。
■02.06.15
アメリカの伝統
伝統と理想、規律と倫理といった、我々の生活の基盤となり子供たちへ教え引き継がれるべきことが、将来受け継がれていくのか、あるいはだんだん消えていくのかは、我々が自分の考えや感じたことをいかに自由に他人と話し合えるかにかかっている。
■02.05.02
ミッキーのメモラビア
ミッキーマウスの人生や冒険は、私個人の生活や仕事振りに密接にむすびついています。
■02.04.16
世界をめぐるミッキー
ミッキーはただ笑いをとるための小さな俳優にすぎませんでした。
■02.04.1
ミッキーのポートレイトギャラリー
カートゥーンのキャラクターやおとぎ話はすべて誇張や風刺でなければなりません。それがファンタジーやおとぎ話の特徴そのものなのです。
■02.03.7
ミッキー スクリーンを越えて
キャラクターは、個性を持たなければただの絵空事です。そして個性がなければ、物語が本当に観客の心を打つことができないでのです。
■02.02.27
映画やテレビの中のミッキー
映画は表現のひとつの手段です。例えば、交響楽のオーケストラあるいは、画家にとっての絵筆がキャンパスのようものです。
■02.02.9
ミッキーの笑顔
ミッキーが人を見て笑うのは彼がとても人間的だからです。それが彼の人気の秘密なのです。
■02.01.27
子供
教師の説教も子供たちをトラブルから引き離せないだろう。可能なのは子供たちの心を何かに没頭さっせることだけだ。
■02.01.23
子供
子供たちをトラブルから遠ざける方法は何かに興味をもたせることだ。子供たちに講義などしても、飛行の何の答えにもならない。
■02.01.02
子供
私は新生児の心は真っ白な本のようだと思う。そして生まれて数年の間に多くのことが真っ白な心のページに描きこれていくとだろう。何について描きこまれようがその内容の質が彼の人生に深く影響を及ぼすだろう。
■01.12.14
挑戦
不可能なことを成し遂げるのは一種の快感だ。
■01.12.05
アニメキャラクター
アニメに出てくるキャラクターや物語はすべて誇張され漫画化されている。それがファンタジーと萬話の本質なのだ。
■01.11.22
本
本には宝島に出てくる海賊の略奪品やカリブの海底よりも多くの宝物がある。本の一番いいところは毎日その宝物を楽しむことが出来る事だ。
■01.11.06
野球
人は誰でも自分の人生のキャプテンだが、実生活で自分の欲しいものを手に入れるには周りの人と協調しなければらない。そしてことことは若いうちに学ぶのが一番良い。
■01.11.01
授賞
我々のように映画というクレイジーな業界で40数年浮き沈みを経験してきたものには”次回作が最高の映画”という気持ちが大切なのだ。
■01.10.26
芸術
私は偉大なアーティストでも偉大アニメーターでも決してない。私の周りにはいつも私より優れた技術をもった人たちが私の代わりに働いている。私は新しいことを考えるアイディアマンだ。
■01.10.07
アニメ
アニメ映画とは世界中のあたゆる年代の人々に物語性と視覚的娯楽を提供するメディアなのです。
■01.09.30
アメリカの伝統
伝統と理想、規律と倫理といった我々の生活の基盤となり子供たちへ教え継がれるべきことが、将来受け継がれていくのかは我々が自分の考えやかんじたことをいかに自由に他人と話し合えるかにかかっている。
■01.09.15
ミッキーはいつもやさしく愛らしくなくてはならない。こんな主役のスターを、いったいどうあつかったらいいのかね。
■01.08.22
1951年 ピーターパン製作時(ピーター対フックの場面)
斬り合いの場面だがね。テンポがだんだんあがっていっていワニの尾がびくびく動くのも速くなる。ピーターパンがフックを水際まで追い込んで下ではワニが待ち受けている場面をまあ、2、3箇所入れるとして。でも、テンポを落とさないでくれよ。
■01.08.11
1951年 ピーターパン製作時
ワニがまだ未完成だ。原作どおりの性格がまだ出ていない。フック船長の歯をあんまりでかくしないように。フックがチクタクの音を聞きつける場面は、もう一回やり直しだ。フックの目に恐怖感をうまく出させる。
■01.07.26
1947年 あるアニメータに対して、 (ディズニーランド構想前)
なあ、君、観光客がハリウッドに来て何も見るものがないっていうのは、まったく情けないことなんだよ。みんな華やかな雰囲気や映画スターが見られると思ってやってきてもがっかりして帰ってしまう。このディズニースタジオを見学に来る人間だっていったい何を見られるっていうんだい。ハリウッドに来て何か本当に見るものがあったらいいと思わないか?
■01.07.15
1947年電気機関車の話。
僕は、自分の誕生日祝とクリスマスのプレゼントを兼ねて、いままでずっと欲しいと思っていた電気機関車のおもちゃを買った。やっとそれを手にした今、嬉しくてしかたがない。僕のオフィスの隣の部屋において、暇さえあればそれ遊んでいる。
■01.07.07
宝島製作ごろ(アニメータに対して)
イギリスの俳優はすごいぜ。せりふを与えてやるだろ。2回リハーサルしたら、はい、撮影。それで終わりだよ。それにくらべて君たちはなんだね。1つのシーンを描くのに6ヶ月もかかるんだからねえ。
■01.07.02
シンデレラ製作時(いじわる猫 ルシファー)
ネズミたちの宿敵でわがままネコのルシファーをアニメーターが考えていた時、アニメータが飼っているまるまると太って毛がふさふさしたブチのネコをみつけて叫んだ。おい、ルシファーのモデルがここにいるじゃないか。
■01.06.29
シンデレラ製作時(魔法使いの登場シーン)
この魔法使いのおばあさんは、間が抜けているという感じじゃなくて、すばらしいユーモアの持ち主にしたいんだ。そう威厳もあってユーモアもあって。
■01.06.13
シンデレラ製作時(魔法使いの登場シーン)
ビビデバビデブーのシーン ここではオーケストラをうまく利用するんだ。リズムにあわせてカボチャがよく踊る。感じを出すだめに、音楽は1オクターブあげてもらおうかな。
■01.06.06
シンデレラ製作時(魔法使いの登場シーン)
歌が終わるところで奇跡が起こるんだ。つまり、あなたの夢が叶えられるという歌詞のところで、魔法使いのばあさんが現れるわけだ。
■01.05.27
シンデレラ製作時(魔法使いの登場シーン)
馬車は、きゃしゃなものじゃなくちゃいかん。車輪もごっついのを描いちゃだめだよ。妖精の場所みたいな感じを出してくれよ。
■01.05.11
1955年 ディズニーランドオープン時
ちょっと見てごらんよ。こんなにたくさんの嬉しそうな顔をいままで見たことがあるかい?こんなに大勢の人間が楽しんでいるところをさ。
■01.05.04
1966年 ジャングルブック製作時
アニメータたちに『君ら、もっとしょっちゅう僕を会議に呼んでくれたまえよ。なんせ、僕はギャグマンとしてはスタジオでは一番給料が安いんだから、いくら使ってもらってもかまわんよ』
■01.04.21
1966年 ジャングルブック製作時
脚本家に対し、自由な発想をしてほしいと思ったウォルトは、『これがキプリングの原作なんだがまず君にやってほしいのはこれを読まないってことなんだよ』
■01.04.11
テレビ番組ディズニーランドで。
1954 ミッキーと私は何年も前にチームを組み夢を実現させました。今度は皆さんと最大最新の夢を共有したい。これがその夢です。『ディズニーランド』
■01.04.04
1963年魅惑のチキルームが完成したとき。
我々の眼の前に新しい扉が開かれた。動かないものに生命を吹き込むという我々の夢がまったく新しい段階を迎えたのだ。
■01.03.20
カリブの海賊 の音声リハーサル
カリブの海賊でセリフが聞き取れかった時 心配無用。このアトラクションは騒々しいカクテルパーティーの会場みたいなもんで、ゲストの耳に入ってくるのは、あっちの会話の断片といった具合だ。ショーを見にくるお客さんは、そのたび「どとに何か新しいセリフを耳にしてくれれば、それでよし。そうすれば、何度だってやってくるだろ。
■01.03.12
ディズニーワールド建設前
ディズニーワールド敷地をヘリで上から見て、 ほら、まるでアルプスのマッターホルンの頂上から下界を見下ろしているみたいじゃないか。こっとの方角に7マイル、あっちの方角に11マイル。これが全部我々のものだ。ディズニーランドだけでなく、僕ら自身のシー・ワールド、僕ら自身のナッツベリーファームだってここに建てられるし、そのうえ町が2つくらいすっぽりはいっちまうよ。そして何もかも僕らの思い通りにとことんやれるんだ。
■01.03.04
1965ディズニーワールド建設前の会見で
ディズニーランドから我々が学んだ最大の教訓は、環境をコントロールするということだ。それをしなければ、我々は自分たちの関係のないものについてまで、悪口を言われることになる。何百マイルという距離をはるばる運転してここにお客さんがやってくるのは、我々が長年かけてつくりあげた質の高いイメージのためだ。ところが、その道筋の安ホテルは料金を必ず3倍にハネ上げる。そういう光景を私はこの目えみてきたし、それは私にとって耐えがたいことだ。我々のイメージに泥を塗られるからだ。
■01.02.19
1965エプコットを建設前
計画とコントロールの行き届いた都市を建設して、アメリカの産業・研究開発・教育・文化のモデルとしたい。エプコットにはスラムはない。なぜなら、我々はスラムの発生を許さないからだ。この町には地主も家主もいなければ、引退者もいない。
■01.02.10
1965エプコットを建設前
ぼくたちは先進をつづける。新たな扉を開き、新たなことをなし遂げる。なぜなら、ぼくたちは好奇心が旺盛だからだ。 好奇心は常にぼくたちを新たな道に導きつづける。
■01.02.06
ディズニーランドを指して あそこにはあるんだ。 創造力と幸福な胸のトキメキ ぼくが子供のときからお馴染みのものさ。
■01.01.27
ディズニーランド建設前
ぼくはたまたま好奇心の強い人間で、気に入らない物を見ると、どうしてこんなふうにしなければならないのか、どうしたら改善できるのかを考え始めるんだ。 不可能なことをやるのは楽しいものだ
■01.01.09
わたしは、子どものために映画を作ったことはありません。大人を含めて、子どもの心をもった人々のために作っているのです。
■01.01.04
夢を現実にするのは人である。
■00.12.20
ゲストがディズニーランドを出る時、第一にははたして楽しんでいただけたかということ、次にゲストの方々が支払った金額に見合った価値が我々にあったかどうかということ、これについて考えよう。なぜなら、人はその品質に対してお金を払ってくれるのだから。
■00.12.12
ディズニーランド開園前の運営を外部へ委託するという意見が出たとき。
ここは、今までの遊園地なんかとは違う。ディズニーランドなんだよ。だから、我々の手で運営するのさ。 必要なのは熱意であり、一生懸命で意欲的に様々なことを学ぼうとする人だ。間違いをするかもしれないが、それを糧にディズニーランドらしいやり方を考えいきたい。世界一すばらしい場所を企画、創造し、建設することは可能だが、その夢を現実のものとするためには人が必要である。
■00.12.07
ディズニーランド建設時
世 界一すばらしい場所を企画、創造し、建設することは可能だが、その夢を現実のものとするためには人が必要である。
■00.12.02
ディズニーランドで開園時
スタートするにあたり、私たちがここで重大な問題を抱えているなんて、ほとんどの人は知らなかったでしょう。 忘れもしないのは、オープン時に資金が底をついてしまいパークのランドスケープ(植栽による造園/庭としてのパークの風景)が完了できなかったことです。
■00.11.18
ディズニーランドで私たちが目指すもの
人々の本当の喜ぶ姿。幼い子どもたちの目の輝き。こうしたハピネスを、すべての人びとに感じてもらいたい。
■00.11.15
1941戦時中
ぼくのところは、街でただひとつ、軍用工場も同然のスタジオだった。
■00.11.07
1938バンビを作成前
空想的な作品を創り出すには・・・まず本物を知らなければダメだ。 バンビを製作するために鹿を前に勉強させた。
■00.10.27
1938 バンビを作成前
ぼくが絶対に信条としていないもの、それは二番煎じだ。
■00.10.24
1933
ぼくはよくカッとなって癇癪を破裂させた。まあ、ドナルドダックみたいな気性の人間さ。
■00.10.18
1933 白雪姫を製作前
心優しい小人がいるだろ。悪役もいる。王子様もいれば、かわいい女の子もいる。ロマンスがあるんだ。だから、申し分のないストーリーだと考えた。
■00.10.12
1934 三匹の子ブタで成功した時
あれは、映画界からも世間からもある一定の評価を得た。ただネズミが跳ね回っているだけのものとはわけが違う、という評価をね。
■00.09.22
1932
うまくやろうと思うなら、自分の部下を訓練しなければならない、ぼくはそう思っていた。
■00.09.04
1932
ぼくは、いつでも実験はできるときにやるべきだとつねづね思っていた。だって、次はどんなことがおきるかわからないんだから。
■00.08.29
1930
コロンビア映画と契約 物事がうまくいっているときのほうが、戦いの真っ只中にいるときよりも心配だった。順風満帆のときは、いつなんどき何かだめになりはしないいあとひやひやしたものだ。
■00.08.19
1930 ミッキーで成功したとき
成功するといつも、ぼくを襲ってくる連中がいた。
■00.07.21
1923 ハリウッドにたどりついたとき。
ぼくは、アニメーションに自信をなくしていた。この世界に入るのが遅過ぎたと思った。アニメーション映画の製作はやめることにしていた。
■00.07.11
1923 ラフォグラム社が倒産した時
若いときには、ためになるようなつらい失敗をすることが必要だ。
■00.06.10
1918 ウォルトがフランスからカンザスに帰ったとき。
ぼくはゼリー作りなんでゴメンだった。
■00.05.28
1918 ウォルトが17才で軍隊でフランスへ行くとき。
ふかふかのクッションも大きな羽布団のベッドもいらなかった。どこで食事しようとかまわなかった。……何事も経験だった。
■00.05.25
ひとを無理やり学者にすることはできない。誰もがそんなやり方に当てはまるわけではない。
■00.05.07
父のこと
父のことはとても尊敬している。私にとって父の作った家庭ほど大事なものはない。
■00.04.15
1965
WDW(ディズニーワールド)の土地を取得するとき、 ヘリコプターから 上から見て、『ここの10キロ四方が全部、私たちのものだ。やりたいことがたくさん あるね。 』
■00.03.30
1947 ドキュメンタリー映画『あざらしの島』を配給会社に売るとき
『そんなに長くはできないよ。僕はお客に長すぎるって文句をいわれるより、30分でもいいから 楽しい映画を見てもらいたいんだ。 』
■00.03.10
1941 アニメータがスト活動をし始めた時
『 長女ダイアンが8歳の時、クリスマスの朝 裏庭の芝生にままごと用のかわいらしい家が建っていた。電話の主は、陽気な声で、『サンタクロースだよ、プレゼントの家は、気に入ったかい』と尋ねた。 』
■00.02.14
1941 アニメータがスト活動をし始めた時
『僕は、漫画という表現手段に対して、がんこなまでの絶対的な信頼をもちつづけてきた。漫画を白い目でみる連中にはアニメーションがもっとましな評価を受けていいってことを見せ付けてやろう。そう心にきめていた。漫画は単に 大きな出し物のあいだに挟み込むつなぎ的存在じゃないっていうこと。将来、今までになかったファンタジーと 娯楽の 世界を作り出す可能性をもっているんだってことを、見せてやろうと思ったんだ。 』
■00.02.14
1939 バンビのストーリー会議で
『 フクロウはまぬけで愚か者にするんだ。僕は原作のフクロウが調子っぱずれのいけると思うな。金切り声をあげるっていうの』
■00.02.08
1939 バンビ製作中アニメータに対し
『自分で満足できるものが描けるまで、僕にみせないでくれよ。』
■00.01.29
1935ディズニ美術教室をはじめたとき
『 コメディがおもしろいものになるには、観客との接点がなければならない。接点という意味は、見ているものの潜在意識の中でなじみ深いものを連想させる何かがある ということだ。
■00.01.14
1939 ファンタジア製作
『もともとミッキーは、いたずらっこなんだ。いい子ぶってはおもしろさが半減してしまう。』
■00.01.08
1935白雪姫製作時、
挿入する音楽を作るとき。 僕らは新しいパターンを作らなくっちゃ。音楽の新しい使い方をね。物語の中に音楽を織り込むんだよ。 登場人物が突如として歌いはじめるっていうんじゃだめだ。』
■99.12.13
1935アニメータに対し
『 君らがぶらぶらしてたって、僕はかまわんよ。誰でも疲れるんだから。くたびれたなと 思っ たら、一息つきゃいいんだ。だけど僕が入ってきたからといって、あわてて机に戻ったり、みっともないことをするんじゃないよ。』
■99.12.5
1935ディズニ美術教室をはじめたとき
『 漫画を描くということは、実際のものの動きや対象をあるがままに忠実に描き出すことではなく生き物の姿や動きをこっけいに誇張して描くということなんだ。 』
■99.11.29
1933三匹の子ブタヒットし、あまり出したくなかった子ブタシリーズを出したとき
『 ブタ以上のものをブタでやろうったって、そりゃ無理さ。』
■99.11.12
1933会社の財政が苦しい時
『ロイにどうしてそんなに金が大事なのさ。そのうち、ジャガイモが金の代わりになるかもしれないよ。そしたら、ジャガイモで給料を払えるじゃな いか。』
■99.12.28
白雪姫製作時、
ストーリー部向上に対し(1935) 『我々の組織の心臓部はストーリー部だと僕は信じている。いいストーリーがなくてはだめだ。 よく練り上げ たものでなくては。 』
■99.10.26
ミッキーの発想 『チャップリンの、あのちょっともの寂しそうな雰囲気をもった小ネズミにしようと思ってね。 小さいながらも自分のベストを尽くしてがんばってるっていう姿だな。』
■99.10.17
ミッキーが売れ出したころ
ミッキーというのは人畜無害のいいやつでね。窮地に陥るのも自分のせい じゃない。 でも、いつもなんとか してはい上がってきては、照れ笑いをしてるかわいいやつなんだ。
■99.10.11
アリスコメディー契約時(1926)
アリスコメディの商標および著作権は、すべて自分の所有物である。
■99.10.04
蒸気船ウィリー公開前(1928)
映画会社の連中ってのはね、大衆がいい映画だっていうまでわからないんだよ。
■99.09.26
いつもきれいにしておけば、客は汚さない。でも汚くなるまでほっとけば、客はますます ごみを捨てるんだ。
■99.09.19
鉄道が走っている家なんて、孫にとっては(特に男の子にとっては)この上なく楽しい場所 ですよ。
■99.09.06
このパーク(ディズニーランド)は、僕にとってもとても重要な意味を持っている。これは、永遠に完 成することのないもの、常に発展させ、プラスアルファを加えつづけていけるもの要するに生き物なんだ
■99.09.12
1955年のある日、ウォルトディズニーが世界中のみなさま、そしてあらゆる年齢の子ど もたちにまったく新しいタイプの娯楽をお贈りいたします。
■99.08.25
クリスマスの人出がいくら多くたってそれで満足しちゃダメだよ。お客さんに対しては いつもおまけを与えてあげるんだ。 クリスマスの人出がいくら多くたってそれで満足しちゃダメだよ。お客さんに対しては いつもおまけを与えてあげるんだ。
出典:講談社 『ウォルトディズニー』 ボブ・トマス著 玉置悦子・能登路雅子訳
出展:ふるぷ出版 グリーン夫妻著 『魔法の仕掛人 ウォルト・ディズニー』
出展:創知社 志澤秀一著 『改訂版:ディズニーランドの人材教育』
出展:ぴあ 『DISNEY Entertainment DIARY 2002』
出展:東京ディズニーランド 『ディズニーギャラリー』


